63.“札幌市長賞”いただきました
今年のお正月明け、恩師永沢まこと先生がご逝去されました。
もう感謝と大好きという言葉しか出てこない私・・・(;_:)。
あまりのショックに最初は茫然とし、それからは涙に明け暮れる毎日が続き、
先生の笑顔、優しい言葉の数々が蘇ってきて、全然絵が描けない日々。
遠近感もないし、なんか妖怪になるし、上手ではないと悩む私に・・・
「狂ってるね〜!いいねぇ〜!淑絵さんにしか描けないものじゃなくては描く意味がない。
誰が見ても淑絵さんの絵だって一目でわかる絵でなければ、淑絵さんが描く意味がないんだよ。
上手に描きたいなら写真にすればいい!もっとくるってくるって!」とくれたあの魔法。
もう先生がいないと描けないよぉぉぉう。(;_:)
それでも何でも!第54回道美展 はやってくるのでありました。
春季展の際にも「100号待ってるからね!絶対頼んだよ!」の絵画部の諸先輩からの励ましが・・・(;'∀')
でも、そのお言葉があってのおかげさま。
ようやく出品への意欲がわいて、描きたい風景が・・・きた、きた、来た!(o^∇^o)ノ
毎年、何を描くべきかと迷うだけで1か月を費やす私にとって、この上ない驚き。
これは天からのささやき?お知らせ?お導き?!決まったぁ〜!
そう!永沢先生とともに数年前に訪れた北イタリアは コモ湖畔 の小さな町。
先生と一緒にまた海外に スケッチブック抱えて旅したかったなぁ・・・。
先生の黄色味強めなクリーム色のシャツやみんなの笑い声、湖に落としたペンの記憶。
すべてがついこの間のように蘇ってくる、来る、来る〜!.+:。☆゜.+:。
これは幸先良さげ・・・と思いきや、いざ取り掛かったらまぁ大変!
ただでさえ建築物と人物(←これ全部じゃん!)が苦手な私ときたもんだ!(||゚Д゚)ヒィィィ!
小さなスケッチをもとに100号に・・・ならない!ならない!描けない!
“相似”を使って大掃除!ウゥ〜。((+_+))
こんなに数学の計算をしたのはいつ以来?
計算用紙が何枚も何枚も部屋を埋め尽くし、
数字の羅列、比例式 が連をなしての阿波踊り。
ようやく下絵が完成したものの・・・そこからが恐怖の水彩画。プププ!(*`艸´)
重ね塗りは当然ながら、塗っても塗っても、あのピンク が出ない!
あの壁色になんぞなってやくれない!
毎日毎日、塗っては乾かし(←というかほったらかし?)、乾かしては塗って・・・
私の名前は 妖怪“ペンキ職人”壁ぬりかべ。
最後に再びペン仕上げ。(←全部下絵のペンが消えるほど濃くてごめんなさい・・・)
描いても描いても埋まらない緑の葉っぱたち・・・。
水彩画100号は床にはいつくばって描くため、本当に匍匐前進しているみたい。(-_-;)
搬入前々日、明日は額装しないと間に合いませんから〜!
なのにまだまだ描きこみが足りない!足りない!ってどこかから聞こえるよぉう。
仕舞には「間に合いませ〜ん!だずげでぇぇぇ!」と役員さんにメールを送信する始末。
あぁ・・・(;'∀')カタジケナイ。
出来上がった瞬間、あっ!永沢先生もここにいる!(*^-^)!
毎日のように電話で話に付き合ってくれた母よ、台車を作りに何度も来てくれた父よ。
いつも気にかけて色々働きかけてくれるピアノの先生(←えっ?今!?絵なのに?)よ。
応援してくれた、あのおばさんやあのおじさん、そのおじさんやそのおばさんにも。
そしてそして、いつも気にかけてくれる友人たち。
みんながいなければ何もできないこの私。(´;ω;`)うるるる〜ん。
皆さんのおかげで “札幌市長賞”をいただいたと言っても過言ではないのでした。
本当に、本当にいつもいつもありがとうでいっぱいなのです。
最後にすべての皆様に、ただただ感謝を伝えることしかできない私。
心を込めて・・・ありがとうございました。_(._.)_ぺこり。
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